「○○では食えない」「どうしたらそうなれますか」への絶対的ではない答え

どんな資格もスキルもどう活かすか?は自分次第。

良く言われることですね。

私自身個人事業主として仕事をしてきて何度となく聞かれる質問があります。

「どうやったらそうなれますか?」という質問です。

これは「この資格を取ったら稼げますか?」
「このスキルを身につけたら起業できますか?」
といった類似の質問もあります。

それと同時に「○○では飯は食えない」というドリームキラー的発言もよく耳にします。

例えば「セラピストでは飯は食えない」
「カウンセラーでは食べていけない」

確かに夢だけ追って地に足がついていないのはNGですが、そうやって誰かに決めつけられることでもないような気がするのです。

そして、このふたつは根源的には同じだと私は考えています。

「時間やお金をかけて資格やスキルを学んで無駄にならないか?」
(無駄になるんじゃないか?リスクを負うのだったら辞めたほうがいいのではないか?)

そういう気持ちがあるから、誰かに確認をしたくなるのだと思うのです。

極論ですが、看護師や保育士、美容師、弁護士など資格を取った方が100%その仕事に就いているでしょうか?

大学で専攻していた学問をどれほどの人が活かして仕事をしているでしょうか?

キャリアコンサルタントも同じです。

どんな仕事であっても、資格取得は勉強のゴールであったとしても、仕事としてはスタート地点に立ったに過ぎません。

スタート地点にも立っていないかもしれません。

どう活かしていくのかは自分次第で、学ぶプロセスにも得たものがあるに違いありません。

学校に入っただけでは卒業できないのと同じで、仕事も入社したり、企業なら開業届けを出しただけでは何も得られません。

会社なら組織の中で自分の役割を自覚しながら慣れていき、少しずつ自分の能力を発揮していくという段階があります。

起業も開業届けを出したら、仕事を取るための努力をして行かなくてはなりません。

きっと心のどこかで、無駄になるならやめておこう、あるいはやめておいたほうがいいなどという自分への言い訳を探している場合もあります。

そして、学んだことは人生のどこかで役に立っていると実感できることもあるので、「迷っているならやってみたら?」と思うのです。

※もちろんその方の環境や経済的な状況、生活基盤などにもよるので、すべてにおいてすぐにやってみたらということではなく、将来的にということも含めて、です。

 

絶対的な正解やどこにも通じる答えは、ない

私自身、大学は社会心理学系の学科に在籍していました。

国語や英語の教員を目指すか、興味のある学問を学ぶか?でとても悩みました。

心理学系の学科へ進むと、大嫌いな社会科の教員免許しか取れないのか~と思い、最終的には「学んでみたいこと」を選ぶことにしました。

こんな理由で選択したら「社会心理学で飯が食えない」「就職なんてどこもないよ」
「教員免許を取って先生になったほうがいいんじゃない?」と言われてしまいそうです(笑)

でも、親も学校の先生もそういうことは言いませんでした。

自分の選択を自分でしたことへの責任もありましたが、大学での勉強は高校までと比べ物にならないくらい楽しかったです。
(一般教養の苦手なものを除く(^_^;))

バブルが崩壊し、就活も初めての氷河期世代なので、楽しかっただけで片づけられない就職活動の理不尽さもたくさん経験しました。

でも、あの時の学びは、社会人、そしてセラピスト、講師、キャリアコンサルタントと仕事を変えながらも土台となっていることを実感しています。

よく学科を選んだ理由を聞くと「就職に有利だと思ったから理系大学に進んだけれど、やってみたら勉強がつまらない。本当は経済とか心理とかそういうことのほうが興味があった」という話になることがあります。

でも、その時はそれを選んだので結果実感していることは間違いではないのです。

そして文系にも理系にも行ける、その能力だけで十分素晴らしいと思います。

人は絶対的な正解を求めるもの。

そして、あいまいなままでも生きられるもの。

でも、冒頭のようなことを言いたくなる、聴きたくなるその心の底には「間違えたくない(間違えてほしくない)」「失敗したくない(させたくない)」という思いが少なからずあるのかもしれません。

だからこそ、その選択をしたからこそ得られたことを棚卸して、人生のとらえ方、意味づけを自分で与えてみることが大切なのではないかと思います。

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